アメリカPGAツアーでパターの名手として真っ先にその名前が挙がるのがジェイソン・デイである。

そんなジェイソン・デイはその整った顔立ちからパター以外にもPGAツアー1のイケメンとも称賛されているゴルフ界の貴公子。だが、そんなゴルフ界の王子様でもある彼の生い立ちはその容姿からは想像できないような起伏の激しい人生を歩んできている。

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PGAツアー1のパターの名手ジェイソン・デイ

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GACライターのBUNTAです。

ゴルフにはパットイズマネーという言葉があるようにパットを制する者がツアーを制すると言われている。そんなパッティングの名手として名前が挙げられるのがPGAツアーで活躍するオーストラリア出身のジェイソン・デイだ。

2016、2018シーズンでストローク・ゲインド・パッティング(ツアー平均と比較してグリーン上でのスコアを稼いだ数を数値化した数値)で年間1位を獲得しており、PGAツアープロの間でも4割以上の選手が「PGAツアー1のパットの上手い選手は?」という質問に彼の名を挙げた。

この質問に対してのデイ自身の回答も「自分」と答えていることから彼自身、自分のパットセンスには自信があるようだ。同郷のアダム・スコットからもデイのパッティングは日本の『禅』のような静かで美しく、どこか芸術的なものを感じさせると賞賛されるほど。

そんなPGAツアーナンバーワンのパットの名手ジェイソン・デイの生い立ちに迫ってみた。

ツアー切ってのイケメン ジェイソン・デイの生い立ち

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ジェイソン・デイは1987年11月12日オーストラリアのクイーンズランド州ボーデザート出身。

母はフィリピン人、父がオーストラリア人の間に生まれる。実姉2人と3人の異母姉、1人の異母兄の7人兄弟の末っ子として可愛がられて幼少期を過ごした。

ゴミ捨て場から拾われてきたゴルフクラブ

ゴルフを始めたのはデイが3歳の頃。デイに父アルビンが仕事場のゴミ捨て場から捨てられていた3番ウッドを拾ってきて「どっちが上手くなるか競争しよう」と言い始めたことがきっかけだった。

デイのゴルフの才能はすぐ発揮された。その初めて手にしたクラブでテニスボールを庭の端まで飛ばしてみせる天才ぶりだった。

そんなデイにゴルフの才能を見た父はデイのゴルフへの興味を育て、ビューデザートGCのジュニアメンバーへ押し込んだ。

デイが9歳の時、貧乏な家庭ながら父アルビンは質屋からデイに最初のクラブセットを買い与えた。それまでシャフトを子供用に切った5本のクラブを使っていたデイはこの日のことを「人生最高の日だった。天国にいるみたいだったよ」とコメントしているのだからデイの幼心に刺さった出来事だったことだろう。

父の死をきっかけに“不良少年”に

父アルビンと始まったデイのゴルフ人生は彼が12歳の時、大好きだった父が突然姿を消してしまったことで無味乾燥なものへと変わってしまった。胃ガンだった。

それからのデイのゴルフへの情熱は失われ、その当て付けから学校に行けば喧嘩を繰り返し、飲酒、タバコ、夜遊びと荒れた生活へと変貌した。

しかし、これはデイの本心ではなかったこを母デニングは後に知ることとなる。

母デニングの存在

2017年3月、WGCテクノロジーズマッチプレー初日、会見場に姿を見せたデイは涙姿で試合を棄権することをメディアに告げた。母デニングが緊急手術をすることとなったのだ。余命一年を言い渡されたデイの母デニングの病気は奇しくも父アルビンの命を奪った癌だった。

父の死以降、素行不良を繰り返していたデイを見た母デニングとても悲しんだ。しかし、母デニングはデイが本当はゴルフが家庭の負担となることを知っていたからだと知ったのと同時に、父アルビンが生前、デイを全寮制のゴルフの私立学校に入れたいと言っていたのを思い出していた。このことがデニングにこの後、家族にとっては難しい選択をさせることとなる。

時が経つとデイは父の死から立ち直りたいと自ら考えるようになった。そんなとき、デイはゴルフの盛んなボーディングスクール(全寮制の寄宿学校)のクラールビン・インターナショナル・スクールの存在を知り母に「あの学校に入りたい」と申し出た。

しかし家庭は火の車。高額な学費を払う余裕はなかった。

父アルビンの死以降、女手一つで姉2人とデイを育ててきた母デニングは家族4人で過ごしていた小さな家を二重抵当に入れ、姉ユンナはスーパーで働き家庭を助け、母はいくつもの仕事を掛け持ちして高額な学費をギリギリで工面、デイの申し出を受け入れ、息子を更生させるためボーディングスクールへと送り出した。


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”タイガー・ウッズ”との出会い、そして母の言葉

デイのクラールビンでの初日のことをコーチ、スワットソンはこう振り返る。

「最初の日に子供たちの当時の実力や能力を考えて、グループ分けした。そしてジェイソンのグループが、ショートゲームエリアで練習していた時、ジェイソンは『そんなことしたくない。僕はコースに出たいんだ』と言ってどこかへ消えてしまった。でも、アカデミーが終わってから彼は私のところに謝罪にやってきて『間違っていました。あなたが一番良い方法を知っているのだから、従うべきでした。もうしません』と言った。子供が自分の過ちを認めたんだよ。彼は違うな、と思ったんだ。勇気があり人を信頼できる。彼は我々を信頼していたんだ」

ボーディングスクール入学から1年後、デイはクラールビンを出るとスワットソンを慕い、ブリスベンの南ジムブーンバにある自宅から列車で7時間掛かるヒルズ・インターナショナル・ゴルフアカデミーに入った。

デイはこの学校で友達に借りた一冊の本により自分のゴルフに対する考えが一変した。その本のタイトルは「タイガーウッズ」だ。

この本を読み、ウッズが自分と同じ歳の時に何をし、そして母や姉が自分のために何を犠牲にしてくれたのかわかったという。そして一生懸命練習することで母や姉が再び自分に失望することがないということを知ったのだ。

それからのデイはこのスクールで朝5時から日が落ちて暗くなるまで毎日練習した。他の子供が自宅に帰るオフの日ですら一人残って一日中練習した。これは母の「一生懸命練習しなければ、成功はしないのよ」という言葉がデイのゴルフへの情熱を突き動かしていた。

18歳でプロ転向、そしてアメリカへ

デイの実力は学校では一番ではなかったという。しかし、誰よりも一生懸命練習したデイはオーストラリア全てのアマチュアのメジャー大会で周囲を圧倒した。

オーストラリアで圧倒的な力を見せ、2006年、オーストラリアンジュニアランキングで2度目ランキング1位に輝いたデイを見たスワットソンは母デニングにデイをプロ転向させるよう説得した。

スワットソンはこの時のことを「デイは次のステップに進む必要があった」と語る。そしてスワットソンは共にアメリカに渡り、デイのコーチ、キャディとしてデイを支えている。

スワットソンの判断が正しかったことは証明された。デイは2007年のネイションワイドツアー(下部ツアー)で賞金ランキング5位となりPGAツアーに昇格した。

その同年、レジェンド・ファイナンシャル・グループ・クラシックでは19歳7ヶ月のツアー最年少優勝記録を打ち立てた。また2010年、HPバイロンネルソン選手権ではオーストラリア人として最年少のPGAツアー優勝を飾る快挙も成し遂げ、そして2015年、自身初となるゴルフの4大メジャー、全米プロゴルフ選手権に優勝する。

ジェイソン・デイの奥さんもツアー1の美人妻

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デイは19歳の時、メンタルコーチと訪れたレストランで現在の妻エリー・ハーベイに一目惚れし猛アタック、2009年に結婚した。デイの妻エリーもツアー1の美人妻と賞賛されており現在は二人の子供を設けて順風満帆な暮らしをしている。

もし、母デニングがデイを見捨てていれば彼は今頃刑務所の中にいたのかもしれない。父の死で閉ざされたデイのゴルフ人生は、周囲の人々や家族の支えにより重く閉ざされかけたその扉を再び開き、ゴルファーとしての栄光、そして父としての幸せを手にしたのである。



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