全英オープンゴルフの長い歴史の中で、スコットランドのプレストウィックゴルフクラブは記念すべき第1回大会が開催されたゴルフコースです。

しかし、現在ではプレストウィックは1925年大会を最後に全英オープンの開催コースのローテーションから外されています。

なぜ、プレストウィックゴルフクラブは全英オープンのローテーションから外されてしまったのでしょうか?

今回は、そんな全英オープンの歴史でも由緒深いプレストウィックで起きた1925年大会での悲劇についてお話しさせていただきますね。

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全英オープンゴルフの歴史|プレストウィックはなぜ開催コースから外されたのか?

こんにちは!BUNTAです!

全英オープン開催コースと言えば、ゴルフファンとしては生涯に一度は回ってみたいセント・アンドリュース・オールドコースを思い浮かべる方が多いのではないでしょうか?

実は、大会開催開始から数十年の間、最も頻繁に開催されていたコースはこの、セント・アンドリュース・オールドコースではなく、スコットランドの“プレストウィックゴルフクラブ”でした。

プレストウィックゴルフクラブは、第1回全英オープンゴルフが開催された由緒深いゴルフコースで、過去24回も全英オープンが行われているゴルフコース。

この24回という数字は、現在ではセント・アンドリュース・オールドコースに次ぐ2番目に多く全英オープンが開催されているコースなのです。(2019年時点)

ではなぜ、全英オープン第1回大会も開催され、過去24回開催したことのある全英オープンに深く所縁のあるプレストウィックゴルフクラブが、開催コースのローテーションから外されてしまっているのでしょうか?

プレストウィックゴルフクラブとは

プレストウィックゴルフクラブは1851年に開場されたスコットランドの西海岸地域のプレストウィックに所在するゴルフファンなら知らない人はいないゴルフコースです。

このコースは、近所にあったパブでゴルフ仲間が飲みながら創設を決めたのが発祥と言われています。

全英オープン発祥のゴルフコースでもあり、1860年の第1回大会から1872年までの第12回大会まで連続して全英オープンが開催されたプレストウィックゴルフクラブ、コースは会員制ではありますが、ビジターでも曜日や時間帯によってはプレーすることもできます。

1925年大会マクドナルド・スミスの悪夢

ことの発端は、第60回大会、プレストウィックゴルフクラブで最後に全英オープンが開催された1925年に遡ります。

プレストウィックはこの1925年を最後に全英オープンのローテーションから外されてしまいました。

一体この年の全英オープンに何が起きたのでしょうか?

スコットランド人とゴルフ

スコットランド人にとってゴルフは、その面白さのあまり、1452年に当時の国王がゴルフ禁止令を発令するほど。

特にスコットランド西部のグラスゴーから西のスコットランド人たちの偏狭ぶりと言えば、想像を絶する熱狂ぶりなのだとか。

特に彼らにとって全英オープン観戦とは、メッカ巡礼の狂信的信者と同じと表現されるほどなのです。

こうしたスコットランドの人たちのゴルフへの熱狂を背景に、1925年、プレストウィックが全英オープンのローテーションから外される原因となった悪夢が起こることとなったのです。

地元出身選手の優勝争い

1925年大会全英オープン最終日、優勝を争うのは地元出身の人気プロゴルファーのマクドナルド・スミス(通称マクスミス)とジム・M・バーンズの二人でした。

3日目を終え、トップのマクスミスはバーンズに5打差をつけ独走状態となっていました。

マクスミスは当時、2年連続で全英3位入賞の実力者。マクスミスが地元出身のゴルファーということもあり、熱狂的なファンの間ではその年の全英オープンは我が子の優勝を待ち望んだかのごとくの盛り上がりを見せたのでした。

そんな熱狂的なゴルフファンたちが、優勝へ独走態勢に入ったマクスミスの雄姿をひと目見ようとプレストウィックに殺到したのです。

大会主催者の誤算

当時は、インターネットやSNSはもちろんまだない時代。

全英オープンの大会主催者側はこうしたファンの心理を十分に把握する由もなく、いつも通りロープを持ったボランティアが30人ほど、各所に配置されただけでした。

当時の決勝ラウンドの組み合わせは、残った選手全員の名前を紙に書いて、その紙を入れた帽子から選手の名前を引いてスタートの順番を決めるというものでした。

この二つの誤算が、マクスミスを地獄の底へと突き落とすこととなったのです。

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くじ運が分けた二人の運命

マクスミスのくじ運の悪さか、バーンズの運の良さかは今では知る由もありませんが、2位につけていたバーンズが朝早い時間にスタートに対し、マクスミスのスタート時間は午前10時過ぎの遅いスタート。

マクスミスがスタートホールの1番ティにたどり着いた時、なんとそこには、およそ2万5000人を超える大観衆が見渡す限りの景色を埋め尽くしていたのでした。

マクスミスはその光景に息をのみ、呆然と立ちすくんだのでした。

大群衆のパニック

話はマクスミスがコースに到着する少し前に遡ります。

コース横を走る蒸気機関車からはグラスゴー、エア、アーヴィンやトルーンとゴルフの熱狂的ファンの住む地域からの乗客を乗せた列車が次々と一番ホール横の駅へと到着。

到着したギャラリーは我先にとまるで虫が湧くかのごとく一番ホールに向かって一目散に走り続けました。

この万を超す群衆が、マクスミスをひと目見ようとコースを埋め尽くしていたのです。

カーディナルの悪夢

ようやくフェアウェイに座り込んでいたギャラリーたちを立ち退かせ、1番、2番とコトなきを得たマクスミスでした。

ですが、3番ホール、通称”カーディナル”と呼ばれるパー5のティグランドに立ったマクスミスは絶望しました。

そこには、ボールの落とし場所と思しきあたりがわずかに見えるだけで、リンクスのアンジュレーション通りにまるで波が人を運んできたかのごとく、辺りが群衆で埋め尽くされる光景。

大会関係者やボランティアが走り回って興奮した群衆を追いやるのに20分を要し、その間、マクスミスは途方に暮れた表情で下を向き、ティグランドに座り込んでいました。

この中断が、マクスミスを悪夢へと誘い込む予兆の始まりでした。

中断で固まった筋肉は案の定、マクスミスのボールを右へと曲げ、2打目も反対側のラフへと打ち込む大荒れの展開。

このカーディナルをなんとかボギーで凌いだマクスミスでしたが、その後も大群衆に揉みくちゃにされたマクスミスは長時間かけて前半の9ホールを終え「42」の大叩き。

これに対し、朝早くにスタートを切ったバーンズは快調に無人のコースをプレーし前半を悠々の「36」。

前半の終わったこの時点で首位は入れ替わってしまったのです。

ギャラリーの暴徒化

きっかけは12番ホールでした。

酔った一団がギャラリーをフェアウェイから追いやる係に逆上し、係員をつるし上げる騒動が起こりここでのプレーはまたもや中断。

この時、マクスミスはうつむいて涙を拭ったといいます。

それでも、マクスミスを応援する声援は止まることはありませんでしたが、大会終盤、先にホールアウトしたバーンズのスコアが人々の間にもたらされると、この群衆の声援は一気に凶暴なものへと変わったのです。

このギャラリーの暴徒化に、マクスミスは怯えたように身をすくめてただただボールを打ち続けるしかありませんでした。

長い悪夢の終わり

マクスミスにとってこれほど長い1日がかつてあったでしょうか?

長いラウンドがようやく終わり、マクドナルド・スミスのスコアは「82」に達し、結果、大会優勝を果たしたジム・M・バーンズどころか、結果は3人の選手に追い抜かされ4位。

人気実力を兼ね揃え、全英優勝に最も近づいたはずだったマクスミスは、この悪夢の結果、その後のゴルフ人生で全英オープン優勝を果たすことはありませんでした。

観客の整理の難しさからプレストウィックはローテーションから外された

このギャラリーの暴徒化がきっかけとなり、観客の整理が難しいとの理由から、伝統あるプレストウィックゴルフクラブは全英オープン開催コースのローテーションから外されることとなりました。

このような由緒深いゴルフコースであったとしても、1925年から今現在まで全英オープンがプレストウィックに戻ってきたことはありません。

今後の開催にも見込みはなく、大人数の観客の収容が難しいとされるプレストウィックは、全英オープンが4大メジャーとなった今、その人気とギャラリー動員数が全英オープンのプレストウィックでの今後の開催も実現しないとされています。

ギャラリー・フィ制度の導入

この1925年のマクドナルド・スミスの悪夢をR &A(英国ゴルフ協会)では重く視て、それまで無料だったゴルフ観戦を有料化する”ギャラリー・フィ制度”の導入に踏み切りました。

この最後のプレストウィックでの全英オープンから2年後の1927年セント・アンドリュース・オールドコースで開催された全英オープンから、ギャラリーから入場料を取ることが決定され、ゴルフトーナメントの有料化の歴史が始まったのです。

この1925年の全英オープンでの出来事がきっかけに、今では当たり前のギャラリー・フィ制度の歴史が始まったのですね。

マクドナルド・スミスというゴルファー

いかがでしたか?

マクドナルド・スミスはその後、全英オープンに勝つことは叶いませんでしたが、翌年の1926年、全英オープンでの悪夢から復活しカナディアンオープンでの優勝などの功績から“全英で勝てなかったゴルファーの中で最も偉大な選手”として賞賛が添えられています。

しかし、スコットランド出身のマクスミスにとって、どんな賞賛も全英オープンでの悪夢での心の傷を癒せるものではないと言えるのではないでしょうか?



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